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「白露をこぼさぬ萩のうねりかな」
建碑年代及び建碑者は「芭蕉塚」に記された通り。
句は元禄4年(1691)の吟(土芳編「蕉翁句集」宝永6年)とも、元禄5、6年ごろの句(其角編「三上吟」元禄13年)とも言われる。
場所 四日市市朝日町 |
松尾芭蕉句碑 |
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「けふばかり人もとしよれはしぐれ」
建碑者・建碑年代とも不明
句は「続猿蓑」(元禄11年)のほか「泊船集」「蕉翁句集」などにも見られる。同じ句碑が桑名市東鍋屋町本願寺境内にも「今日斗り人も年よれ初時雨」としてある。
場所 四日市市北町 建福寺 |
松尾芭蕉句碑 |
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「古里は菜の花もあり父の顔」
句は丹羽36歳ごろの作品といわれ、自筆の毛筆墨書を拡大したもの。
市制施行90周年記念事業として、昭和62年(1987)5月23日除幕した。副石の説明撰文は丹羽の門下生・河野多恵子による。
場所 四日市市鵜の森一丁目 鵜の森公園 |
丹羽文雄句碑 |
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「住み慣れし街の明け暮れ冬つばき」
三重俳句四日市句会によって、昭和59年(1984)11月建立。
句意については第5句集「冬椿」(昭和59年)で自ら紹介。
場所 四日市市鵜の森一丁目 鵜の森公園 |
内藤まさを句碑 |
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「目にみえぬ神にむかいてはぢざるはひとのこころのまことな里希季」
画家の栖華上田谷松により、昭和8年(1933)9月建立。佐佐木信綱謹注「明治天皇御集謹解」によれば、明治40年(0907)の御製。東阿倉川町海蔵神社境内の歌碑(昭和9年建立)では、「目が見えぬ神にむかひてはぢざるは人の心の誠なりけ里」となる。
場所 四日市市諏訪栄町 諏訪公園 |
明治天皇御製歌碑 |