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3.川崎宿 六郷渡船
川崎宿.の現在の風景
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宿場
東海道五十三次
3.
川崎宿 六郷渡船
歌川広重
天保3〜4年(1832〜33)


川崎宿.の現在の風景

写真・文 青春様(横浜市)
撮影       2000/12/6         

品川宿の次は川(多摩川)を渡ってすぐ川崎宿。有名な「六郷の渡し」、 川崎大師への厄除け参り、行商の男、武士が乗り合う渡し場である。                        文:日々好日様(横浜市)





目次
流れる川は「多摩川」、版画も写真も江戸側(六郷の渡し)からのもので、この 位置から版画のように富士山を眺めることができる。
川を渡れば「武蔵国」、ここで「川崎大師」への分岐となる。


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川崎宿の見どころ

川崎宿の現在の風景

写真・文   青春様(横浜市)
撮影     2001/1/31

現在は東海道線、京浜急行線、国道の橋が架かっている。 写真の対岸が川崎宿で、市内には多くの案内板がある。 現場のすぐ下流から冬場には絵のような富士山も眺められる。



狂歌で下る東海道五十三次


    川崎ハ矢口のわたり六郷の河船冷し鈴の森茶屋

 神奈川宿から、Mr.9さんや流永さんの文章にある生麦事件の現場、生麦村(横浜市鶴見区生麦)を通って二里八丁、川崎宿(川崎市川崎区)に入ります。まずは東海道からすこし右に折れてお大師様参拝。川崎大師は厄除け大師として人々の敬崇を集め、農民・町人に限らず、武士や将軍までも参詣しました。特に厄年(厄落とし)の参詣は、江戸の人にとって欠かせないものでした。お参りを終えて茶屋でひと休み。有名な万年屋に入りました。松井章之『参府日記』に「此所に万年屋ト云茶や有、東海道第一の茶や也、神奈川の台の茶屋といへどもこれにハ劣れり」とあります。万年屋は奈良茶飯か売り物です。薄い煎茶で炊いた、勝栗や小豆入りの塩味の飯に、濃い煎茶をかけて食べます。また、皮を米の粉で作った米饅頭も売られています。おなじ茶屋に、商家の御内儀らしい女性が、小僧を供にして休んでいました。薄く紅をつけた唇から時々漏れるお歯黒が、艶めいた雰囲気を醸し出します。「十五年ぶりで内儀は万年屋」(古川柳)。女の厄は十九歳と三十三歳です。
 多摩川を渡ります。渡しには上流の矢口の渡しと、六郷の渡しがあります。矢口の渡しは鎌倉街道の渡しで、平賀源内の浄瑠璃『神霊矢口ノ渡』で知られています。東海道は六郷の渡し。現在の六郷橋のやや下流にありました。ここは幕府が費用を負担する無賃の渡し場です。そのために、川崎宿には請負収入五百六十両、救済金三千五百両が入り、おおいに潤ったそうです。狂歌の「冷し」は「すずし」と読むのでしょう。次の「鈴の(が)森」の縁語になっています。川を渡って大森の茶屋(東京都大田区大森)で休み、さらにしばらく行くと鈴が森(品川区大井)を通ります。江戸時代刑場のあった所です。八百屋お七や日本左衛門がここの露と消えました。近くに鈴が森八幡宮があります。道筋の茶屋の、団十郎ばりの渋い顔をした亭主から「旅の人、お待ちなせえやし」と声をかけられました。ここでちょっと休んでいきます。ではまた。

寄稿 八代市 ちくたく凡様