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4.神奈川宿 台之景
神奈川宿の現在の風景
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宿場
東海道五十三次
4.
神奈川宿 台之景
歌川広重
天保3〜4年(1832〜33)

神奈川宿の現在の風景

写真・文 青春様(横浜市)
撮影 2000/12/6

急坂を登るにつれて海が上って来る. ここの眺めは 良い事で知られていた. 画中の引込み女も宿場には 付き物の点景.遠く突き出ているのが本牧の岬と わかれば.この海も埋め尽されて今は無い。        
 文:日々好日様(横浜市)



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当時は版画のように左側は海であっただろう。現在は横浜みなとみらい地区に なって、高層のランドマークタワーが聳え立つ。
この場所は現在も急坂で、途中には「田中屋」の宿(現在は料理屋)も残ってい る。坂を上り詰めたところに史跡がある。
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神奈川宿の見どころ


神奈川・台之景・史跡

写真  日々好日様(横浜市)
2000/12/6撮影
神奈川宿へは急な坂道である。 ここは旅人ばかりでなく船頭たちの遊び場でもあった。 昔は絵のように左側はすぐ海であったのであろう。 現在も「田中屋」はある。近くには「関所跡碑」もある。



狂歌で下る東海道五十三次


    神奈川に富士の人穴大森の茶屋には粟の切餅もあり

 広重の絵にも描かれた新町橋(帷子橋)を渡り、東に進むと浅間神社の前を通ります(新横浜通り手前)。ここには「富士の人穴」と呼ばれる横穴があり、富士山麓まで続いていると言われていました。人穴とは火山の麓にある洞穴のことです。富士山の西北麓、朝霧高原(静岡県富士宮市)に「富士の人穴」があり、御伽草子『富士の人穴』で知られています。ここ浅間神社の人穴は実は横穴古墳だそうです。
 しばらく行くと、茶屋が立ち並ぶ神奈川宿(横浜市神奈川区)に着きます。保土ヶ谷宿から一里九丁。神奈川台といわれ、広重の絵にも見られるような素晴らしい海の景色が広がります。桜屋という茶屋で、景色をめでながら、台の茶屋料理に舌鼓を打ち、名物の亀の子煎餅を味わいました。(今ではすっかり埋め立てられ、この絶景は見られません)
 ここは海陸交通の要です。また幕末外交史の要地でもありました。嘉永七年=安政元年(1854)幕府とペリーとの間で神奈川条約(日米和親条約)が結ばれ、安政六年(1859)、神奈川(横浜)開港時、寺院に各国の領事館が置かれました。オランダ(長延寺)・フランス(慶運寺)・イギリス(浄滝寺)・アメリカ(本覚寺)などです。医師で、ヘボン式ローマ字を創ったヘボンも成仏寺に寓居したことがあります。
 狂歌にある「大森の茶屋」はどこでしょうか。川崎宿と品川宿の間の宿大森のことでしょうか。それにしては、次の川崎宿の狂歌の前に置かれています。粟餅は江戸中にありました。特に品川からそう遠くない目黒不動堂前で売られていた粟餅は名物として有名です。恥ずかしながら、またまたよく分からないまま、ではまた。

寄稿 八代市 ちくたく凡様