目次 日本橋 品川 川崎 神奈川 保土ヶ谷 戸塚 藤澤 平塚 大磯 小田原 箱根
 
 
次の
宿場
 
東海道五十三次
5.
保土ヶ谷宿 新町橋
歌川広重
天保3〜4年(1832〜33)

保土ヶ谷宿の現在の風景

写真・文 青春様(横浜市)
撮影 2000/12/6

帷子川の橋を渡ると保土ヶ谷宿、呼び込みをしている光景が見える。



  文:日々好日様(横浜市)




目次
写真の橋の下を流れる川は当時と同じ「帷子川」。 開発されて東海道は相模鉄道「天王町」駅構内を通って進むことになり、出た ところに当時を再現したミニュチュアの橋があり公園になっている。 ここを過ぎれば正月の大学駅伝でも有名な難所「権太坂」である。



保土ヶ谷宿の見どころ

保土ヶ谷宿の現在の風景

写真   日々好日様(横浜市)
撮影   2000/12/6

   
 帷子川の橋を渡ると保土ヶ谷宿、呼び込みをしている光景が見える橋は「帷子橋」で、昔の名残か今も商店街になっている。 
.


狂歌で下る東海道五十三次


  戸塚出て爰何国ぞと問きけば相模武蔵の堺保土が谷

 藤沢宿出発、原宿でひと休みして、二里で戸塚宿(神奈川県横浜市戸塚区)に着きました。ここは東海道と鎌倉街道の分岐点。春は柏尾川の堤の桜が見事です。広重の絵に吉田橋が描かれています。忠臣蔵「道行旅路の花婿」の舞台です。「気も戸塚はと吉田橋 墨絵の筆に夜の富士」清元の調べにのってお軽・勘平が登場します。歌舞伎横好きで、つい横道にそれてすみません。(戸塚は今「ゆめはま2010プラン」の中心として、横浜副都心を目指しています)
 品濃坂を上がり、境木の茶屋で富士山を眺めながら、名物柏餅を食べて休憩。ここが相模国と武蔵国の境です。上りの旅人には難所といわれた権太坂を長々と(約十六丁)下れば、まもなく保土が谷宿(横浜市保土ヶ谷区)に着きます。戸塚宿から約二里です。(「昔憶へば苫屋の煙 今は百船百千船 泊まる処」と旧横浜市歌にうたわれた横浜港は近くです) 戸塚宿や保土が谷宿は、江戸からの旅人の最初の宿泊地。留め女の攻勢もすさまじいものでした。弥次さん・喜多さんも大迷惑。「お泊りはよい保土ヶ谷へと留女戸塚前(とっ捕まえ)ては離さざりけり」と嘆いています。わたしも、とっ捕まらないように急いで通り過ぎます。ではまた。


寄稿 八代市 ちくたく凡様