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7.藤沢宿 遊行寺
藤沢宿の現在の風景
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宿場
東海道五十三次
7.
藤沢宿 遊行寺
歌川広重
天保3〜4年(1832〜33

藤沢宿の現在の風景

写真・文  青春様(横浜市)
撮影 2000/12/13

藤澤宿は時宗の総本山 藤澤山 清浄光寺 俗称遊行寺の 門前町として発展し同時に江ノ島. 鎌倉. 大山詣り.の 分岐点として大いに賑わった。境川にかかる遊行寺橋上 には木太刀を担ぐ大山詣りの一行や鳥居の下には弁天様 の御利益で出世した杉山検校にあやかろうと江ノ島詣り の四人の座頭が描かれている。家並と丘上の多くの寺宅 を見ても当時の繁栄振りが伺える。
     文:おーさん様 (三郷市)

目次
版画、写真の鳥居は「江ノ島神社」のそれで、「遊行寺」方向を眺めたものであ る。左側は相模湾で富士山が綺麗に見える場所であるが、版画にそれが 描かれていないのはどうしてか。









藤沢宿の見どころ

現在の藤沢・遊行寺

写真・文     青春様(横浜市
撮影日時    2000/12/13

ここは東海道と鎌倉・江ノ島街道の分岐点で、行き交う人は多かった。
 このアングルは東海道からは外れて、江ノ島弁天の「一の鳥居」からのもの。 雰囲気はある。遊行寺は写真の上部に位置する。



狂歌で下る東海道五十三次


    しほききに寄る鯵鯖や鰯ざこ南郷茶屋の膾にぞなれ
    藤沢の遊行の寺の高念仏鐘打聞て過る旅人


 途中、南湖の茶屋(神奈川県茅ヶ崎市南湖)で休憩。狂歌の「しほきき」は「潮効き」で強い潮の流れ。「南郷」は「南湖(なんご)」のことでしょう。南湖は間の宿として立場茶屋がありました。ここは船漁や地曳網漁が盛んな所で魚の宝庫です。この辺りにも左富士が見える場所があります。葛原の茶屋でまた一休みして藤沢宿(藤沢市)到着。平塚から二里十八丁です。
 藤沢といえばすく思い浮かぶのが清浄光寺。遊行寺(ゆぎょうじ)とも称され、鎌倉末期に呑海によって建立された時宗の総本山です。時宗は鎌倉中期、全国を「南無阿弥陀仏」をとなえながら遊行行脚した一遍上人が開祖です。一遍の志を受け継いだ遊行上人の寺ということで遊行寺と言われています。遊行上人は代々幕府や各藩の保護を受け、全国を行脚しました。当地八代にも何回か行脚来訪し、その記録が江戸時代の『八代御城旧記書抜』に残っています。その中に「遊行上人八代逗留の事」と題した項目があります。
 遊行上人一行僧俗七十六人、延宝二年(1674)九月二十八日八代着。十月九日まで逗留。宿坊は荘厳寺、一行の下宿は本成寺・浄信寺と旅宿長門屋。藩主細川綱利の命で厚く遇され、馳走人として二百石以上の武士が四人、奉行三人が付けられています。逗留中は武士が毎日裃姿で挨拶に罷出、宿の回りは大勢で警護。また、八代城代(主)松井家からも贈り物や布施を奉っています。発足の時は、また大勢の武士、町人が丁寧に見送っています。長い文章なので要約して紹介しました。
 遊行寺には小栗堂があり、説教節で知られる小栗判官と照手姫の伝説も伝わっています。また、藤沢には義経伝説も豊富です。ここから東海道と江ノ島道が分かれます。弁天様を拝んで行きたいのですが、残念ながら時間がありません。湘南ボーイ、ガール(ちょっと古いか)を横目で見ながら、戸塚宿に向かいます。ではまた。

寄稿 八代市 ちくたく凡様