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8.平塚宿 縄手道
平塚宿の現在の風景
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宿場
東海道五十三次
8.
平塚宿 縄手道
歌川広重
天保3〜4年(1832〜33).

平塚宿の現在の風景

写真・文  青春様(横浜市)
撮影 2000/12/13

平塚宿の西の外れ京口見附から大磯方面を 見た絵で 中央正面の丸い山が高麗山。その 右が大山信仰で 知られた霊山大山(阿夫利 山)である。 この二つの山の 間に白い富士 山が見える。正面右に「従是東海道平塚宿」 片面 には分岐点を示す中原街道の傍示杭が 建っている。宿え向かう 町飛脚や空駕篭を 担いで大磯に帰るのか二人の人足 その先に は花水橋を渡る京上りの旅人を描いている 真白い富士山は冬の季節を感じさせる。    文:おーさん様(三郷市)
目次
小高い山は「高麗山」、原型通りで確かにこの位置から富士山が見える。 人が往来する道は現在の国道1号線と東海道線が平行しており、交通の頻繁 なところである。近くには「番町皿屋敷」で有名な「お菊塚」もある。





平塚宿の見どころ

現在の平塚・縄手道

写真・文     青春様(横浜市
撮影日時    2000/12/13

こんもりした山は高麗山。縄手道とは、田の間の道、真っ直ぐな長い道の こと。
山の形がそっくりで、もっと手前から撮ると山の右側に富士山が確かに見える。



狂歌で下る東海道五十三次


    頼朝の富士の御狩に建てそめし平塚の宿馬乳川船
 世の中のくづハの茶屋に駒留てゆくも帰るも田葉粉吸行


 大磯宿から、虎御前が白拍子をしていたという化粧坂(けわいざか)を通り、広重の絵にも描かれた高麗山を左に見て、その名も美しい花水川を渡ると、平塚宿(神奈川県平塚市)に着きます。大磯からわずか二十七丁です。名所と言えば、歌舞伎の女主人公の出生地。夏狂言で見物衆の背筋を寒くする「番町皿屋敷」のお菊、草履打ちで知られる「加賀見山旧錦絵」のお初(のモデル松田たつ)の生まれた所です。それぞれお菊塚・松田たつ女彰忠碑があります。狂歌に、平塚宿が頼朝の富士の狩のときに建てられたとありますが、文献では確認できませんでした。ご存知の方、お教えください。(現在平塚市は、仙台市とともに七夕祭で全国に知られています。仙台市のものは江戸時代に始まり、昭和二年、折からの不景気を吹き飛ばそうと、現在のように華やかなものになりました。今年は八月五日から八日まで行われます。平塚市のものは、始まりは戦後ですが、豪華さでは仙台に負けません)
 宿場を過ぎると相模川にさしかかります。河口は中世からの物資の集散地で、回船で栄えました。馬入(乳)川はその河口付近の呼称です。馬入の渡しは馬入村から茅ヶ崎側への船渡しのこと。昔、このあたりの橋の渡り初めで、源頼朝の馬が頼朝を乗せたまま川に飛び込んだところから、馬入川と名が付いたと言われています。
 馬入川を渡って、藤沢宿目指して行くと、葛原村(藤沢市葛原)を通ります。狂歌の「くづハの茶屋」とはここの茶屋のことだと思います。村内には大山詣での道が通り、藤沢宿代助郷村です。葛の葉は裏が白く、風に翻ると変化が目立ちます。そこで「くづハ」の序詞に「世の中の」が使われ、さらに「葛葉」が「帰る(返る)」の序になっているのではないでしょうか。相変わらず半端な知識や推測でものを言って、曾参先生ごめんなさい。ではまた。

寄稿 八代市 ちくたく凡様