浮世絵で見る四日市


01 風の四日市
東海道五十三次・四日市を代表するのが広重の「風の四日市」である。
天保の頃の四日市絵図の三重川(今の三滝川)に土提が突き出たその先に木橋があり、「風の四日市」と符合する。


 
 
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上は国貞の絵で、広重の風の四日市を模倣し、得意の美人画と組み合わせている。

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上は、三重川のあたりをそぞろ歩く男女を描いた広重の絵。




 
 
04 広重の狂歌入り東海道
富田立場之図・・・立場とは、人足が杖を立てて休む場所をいい、間の宿とも呼ばれた。当時富田は桑名領で、東海道名所絵図には「火鉢を軒端に出して蛤を焼く。桑名の焼蛤はこれなり」とある。




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采女・内部川・・・絵の中の狂歌は「梅の香に袖ふりあふて泊村、つえつき坂をのぼる旅人」とある。この辺り日永の梅林と称され、梅の名所でもあった。



 
 
06 東海道中膝栗毛の四日市
十辺舎一九の弥次北道中記に材を取った四日市の旅宿での騒動である。
 宿の女中に夜這いしようと、野次郎兵衛がさぐりにいくうち棚板をはずしそうになった。北八に持ってもらって、目指す女中に触ってみると石の地蔵であった。
上の広重の絵に「はひかけし地蔵の顔も三度笠 またかぶりたる首尾の悪さよ」の狂歌がある。





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上の2枚は一英斎芳艶の絵で、上は夜這い、下は日永の追分「元祖まんぢう」の茶店で、金毘羅参りの人と饅頭40個をかけて400文取られ、その饅頭代も払わされるが、この金毘羅参りの人は手品使いであったという挿話。



 
 
08 北斎の「日永の追分」三景
上は北斎代表作の一つ「東海道五十三次四日市」で、日永追分を旅する三人の後姿が丹念に描かれいいる。





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上の2枚は特に人物に焦点を当てて描かれており、、二人の女性が旅人に水をすすめている情景や、振り分けにした馬の背に婀娜っぽい二人の女性が煙草をくゆらせている光景が描かれている。




 
 
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広重が描く「日永の追分」で、のんびりとした旅人




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広重が描く「日永の追分」で、江戸に上る大名行列か、国許に帰る西国大名か?庶民は路傍で行列の通過を待っている。




 
 
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豊原国周の「童戯五十三次之内四日市」・・・四日市祭りの人気者「大入道」の伝説を、幕末の頃の浮世絵師、国周が、戯画化したもので、障子から長い首を出した大入道が旅人を驚かせている。




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高砂町の遊郭街を描いた二代広重の東海名所道中記の四日市。
「三重県庁あり・・・」とあるから明治10年前後に描かれたものとみられる。



 
14 三重川と那古の浦
三滝川の江戸期の別名が三重川で、東海道名所絵図に「三重川水源は冠山より出で、三重郡の山中七里ばかり流れ四日市にして海に注ぐ。この橋の上より那古の海あざやかに見えわたる」とある。左はそんな風景を描いた広重の名作。




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同じ角度から描いた一英斎芳照の絵で、橋上を鉄砲隊が渡っている。幕末の討幕軍であろうか。




 
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上は広重の絵で、那古の浦で休息する武士の一行・・・望遠鏡で蜃気楼を眺めている。




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これも三重川風景で、広重の絵。




 
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渓斎英泉の恥美的な作品「契情道中雙禄、三浦屋内花園」




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豊国描く東海道五十三次内「四日市額の小さん」




 
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いずれも豊国の作品で、鈴鹿の山、追分の鳥居を背景に豪腕らしい男が描かれている。



 21 那古の浦の蜃気楼
浮世絵の四日市には「那古の浦の蜃気楼」を描いたものが多い。那古の浦は、霞ヶ浦から四日市、南は長太浜に至る海岸の総称である。
蜃気楼は春から夏の晴れた日、まず、南方に現れ、北方に移動しながら十数分で消滅するところから伊勢大神宮が熱田神宮に遊幸されるのだと信じられ「那古の渡り」と称した。
上の絵は、風景が広重、人物が豊国という珍しい合作。




 
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蜃気楼を背景に飯盛り女と思われる豊国の東海道五十三對




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伊勢参りの客と見られる旅篭の女人と蜃気楼を組み合わせた芳虎の旅婦之太々詣。