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36.御油宿 旅人留女
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宿場
東海道五十三次
36
.御油宿 旅人留女
歌川広重
天保3〜4年(1832〜33)

現在の御油宿の風景

写真・文  流永様(名古屋市)
撮影     2000/12/9

御油の宿は、旅館の客引きが強引であったことで名高く、図でも客引きの景がユーモラスに描かれている。この図で興味深いことは、宿屋の壁に書かれた文字である。この中に五十三次の出版元・絵師・彫り師・摺り師・題名が示されているが、ことに彫り師と摺り師の名が出ていることは珍しいことである。

目次
<御油の松並木>
徳川家康が650本の松を植えさせた。 当時の風情がまだ残っている。






御油宿の見どころ


天然記念物 御油の松並木

写真 流永(名古屋市) 様
 撮影  2000/12/9

御油の松並木

写真 ねこ虎(北びわこ)様
撮影   2001/1/19

現在の豊川市御油(ごゆ)町。 当時はにぎわいをみせた宿場だったが、 東海道本線がこの地からはずれた為、 急速にさびれてしまった。
文: 流永(名古屋市) 様




狂歌で下る東海道五十三次


    藤川を越て赤坂御油の宿本坂道は左へぞゆく

 狂歌の作者は、面倒になったのか、あるいは忙しかったのか、三つの宿を一首にあっさりと詠み込んでいます。わたしも、この三宿を急ぎ足で通り過ぎることにします。
 岡崎宿から一里二十五丁、藤川宿(岡崎市藤川町)に着きます。宿の西の棒鼻(宿場の出入り口を示す標識)の近くに閻魔堂があり、芭蕉の句碑が建っています。「ここも三河むらさき麦のかきつばた」。この句のとおり、ここの特産にむらさき麦があります。穂の色が紫色をしていて、かきつばたに見まごうばかりです。高野麦または紺屋麦ともいい、染料にも使われていました。(むらさき麦は近代絶えていましたが、現在復活され観光用にもなっているそうです)
 途中ちょっと寄り道して、聖徳太子が水を飲んだと伝える枡井戸で水を飲み、藤川宿から二里九丁、赤坂宿(愛知県宝飯郡音羽町)到着。ここには広重の絵のモデルとなったという有名な旅籠鯉屋、後の大橋屋があります。(現在二百数十年前の建物もそのまま残っていて、、当時の旅籠の姿が見られます)名物は曲げ物(薄板細工)。ここで新しい草鞋を求め、御油宿に向かいました。途中に見事な松並木(国の天然記念物)があります。
 赤坂宿と御油宿(豊川市御油町)の距離はわずか十六丁(1.7キロメートル)、東海道一の短さです。芭蕉がその短さを「夏の月御油より出でて赤坂や」と詠んでいます。御油はドイツ人の医師、ベルツ水で有名なベルツ博士の妻お花さんの出身地です。脇往還の本坂通(姫街道)と東海道の追分です。名物の甘酒を飲んで吉田宿へ。急いだので、息が切れました。ああしんど。ではまた。

寄稿 八代市 ちくたく凡様