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45.石薬師宿 石薬師寺
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宿場
東海道五十三次
45.
石薬師宿 石薬師寺
歌川広重
天保3〜4年(1832〜33)

石薬師寺

写真・文  流永様(名古屋市) 
撮影     2000/1/7

ひなびた雰囲気の漂う宿場。 名刹・石薬師寺は、山寺の趣にあふれる。 この絵は晩秋の景色らしく、刈り入れ後の田んぼで、農夫がわらをかき集めて、 わら積みを作っている。
       文・流永様(名古屋)
 

目次
宗派は真言宗で、開祖は泰澄。
近くに作詞家・佐佐木信綱の生家がある。





石薬師宿の見どころ

現在の石薬師宿の風景

写真・文  流永様(名古屋市
撮影日時  2001/1/6  

宿泊客も少なく、宿場内の石薬師寺にちなんで宿場名としたように、静かな小さな宿場であった。




現在の石薬師宿の風景

写真・文  夢入道様(四日市市
撮影日時  2001/1/8
石薬師寺

写真・文  夢入道様(四日市市
撮影日時  2001/1/8

こでも広重の書いた 地形が見当たらず、引き返すように石薬師寺へ来ました。この寺院を下から見上げると よく似た地形を感じるが、遠景の山がない。これも想像画だとすれば最も似ている。



    
狂歌で下る東海道五十三次


石薬師杖突の坂饅頭や四日市道はまぐりをやく

 石薬師宿(三重県鈴鹿市石薬師町)は庄野と同じく、じみな宿場です。宿場はずれに石薬師寺があります。薬師餅と鰻が名物。(歌人佐々木信綱はここの出身です。先祖代々医者と学者の家系でした。彼の作詞した「夏は来ぬ」は、だれでも一度は歌ったことがあるでしょう。佐々木信綱記念館があります) 石薬師宿を出て更に行くと杖突坂があります。倭建命が杖を突いてここを登ったという地名起源説話がある場所です。
 饅頭屋は間の宿日永(三重県四日市市日永)にある店のことでしょう。日永追分は東海道と伊勢参宮道の分岐点です。『東海道中膝栗毛』の弥次さんが、初めて会った旅人と饅頭の食い比べをし、見事してやられた所です。名物の「なが餅」本舗の笹井屋もあります。この店は、はるか天文十九年(1550)の創業だそうです。わたしもここでなが餅を食べていくことにしました。あんこの入った細長い餅です。(この店は現在もあり、今は市街地寄り三滝橋の近くにあります)
 四日市宿への街道沿いから四日市宿にかけて、焼き蛤を売る店がたくさん並んでいます。「その手は桑名の焼き蛤」という地口があるように、焼き蛤は桑名と思われがちですが、ここ四日市付近もいい蛤が採れます。食い意地の張ったわたしは、さっそく店に入りました。見ていると、消し炭や松笠、松の雑木などで火をおこして、蛤の口の方を火に向け、相撲の土俵のように丸く蛤を並べて焼いています。焼きたての蛤のうまいこと、うまいこと。
 蛤の吐く気のせいでしょうか、四日市の海には蜃気楼が現れます。伊勢神宮の神様が、熱田神宮に御渡りなさるのだと人々は信じていたようです。四日市宿はにぎやかな
宿場です。(現在では三重県最大の臨海コンビナートがあり、大工業都市になっています)
 四日市の湊には、宮宿への十里の渡しがありますが、次の宿桑名の七里の渡しほど有名ではありません。
 今日はうまいもの尽くしのいい一日でした。ではまた。


                       寄稿 八代市 ちくたく凡様