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46.庄野宿 白雨
庄野宿の現在の風景
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宿場
東海道五十三次
46
.庄野宿 白雨
歌川広重
天保3〜4年(1832〜33)

庄野宿の現在の風景

写真・文 がくべえ(四日市市)
撮影   2000/11/26

庄野は石薬師から鈴鹿川べりに出て、しばらく遡ったところである。
図は宿場近くの景と思われるが、激しいにわか雨におそわれた街道の様子が描かれている。



目次
鈴鹿川に架かる定五郎橋の袂から庄野の町を望む。逆光で少し見えにくいが僅かに町が見える。






庄野宿の見どころ

現在の庄野宿の風景

写真・文  夢入道様(四日市市
撮影日時  2001/1/7
庄野宿の旧小林家資料館

写真・文  夢入道様(四日市市
撮影日時  2001/1/7  

それらしき地形の場所は、旧東海道筋にはなく東の入口付近の少し外れた場所に在ったと 言う人もいると聞き、そこへ行ってみると想像できないこともないが、当時の面影はない。  やむなく庄野宿本陣跡や高札場を含む辺りの街道筋をカメラに収めてきました。





狂歌で下る東海道五十三次


   庄野なるたねやき米は門ごとにちさき俵に入て釣なり

 森下の茶屋でしばらく休み、庄野宿(三重県鈴鹿市庄野町)に入りました。ここを描いた広重の庄野の白雨は、彼の五十三次シリーズの中の傑作だそうです。「東海道五十三次今昔物語」にありますので、ぜひご覧下さい。
 家々の前に、焼米をつめた小さい俵を吊るして旅人に売っています。「たねやき米」は、苗代に播いて余った種籾をそのまま煎って、杵などで殻を落としたものです。これを田の水口に花やお札と共に供えて、豊作を祈る風習があったそうです。もちろん、食用にもします。庄野ではこれを土産品として売って、乏しい家計を助けているのでしょう。林羅山がこれを買ったという記録があるそうです。
 このあたりはまた、ヤマトタケル(倭建命、日本武尊)の白鳥伝説でも有名なところです。ヤマトタケル英雄説話は『古事記』のなかの白眉です。
 伊吹山の神が降らせた大氷雨によって傷ついたヤマトタケルのみことは、故郷大和に向かい、体を引きずるようにして能煩野(のぼの。三重県鈴鹿郡のこのあたりと言われています)にたどりつきます。ここで、みことは故郷を偲んで歌います。
 「倭は 国のまほろば たたなづく 青垣 山隠(ごも)れる 倭しうるはし」
古事記歌謡の絶唱です。やがてここで、みことは亡くなり、白鳥と化して大和に向かい空翔けります。『古事記』はこう記しています。
 「八尋白智鳥に化(な)りて、天に翔りて浜に向きて飛び行(い)でましき」
 この近くに白鳥塚古墳があります。また亀山市田村町に倭建命の墓といわれる能褒野陵があります。
 庄野で買った焼米をかじりながら、石薬師にむかいます。ではまた。

寄稿 八代市 ちくたく凡様