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関宿
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宿場
東海道五十三次
48.
関宿
本陣早立
歌川広重
天保3〜4年(1832〜33)
関宿の町並み
写真・文 伊勢路様(松阪市)
撮影 2000/12/18
関の宿は、鈴鹿峠の麓にあり、古くは鈴鹿の関所であったところで街道の要衝であった。図は、早朝大名行列が宿所を出る準備の様子を描いている。
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関宿の 街並みの中に 資料館とか 江戸から106里に因んで 106里庭と言う公園があります 。もう一軒本陣があったそうですが建物は無くなっていました (月曜日休館日)
関宿
の見どころ
街並みに配慮された銀行
写真・文 伊勢路
様
(松阪市)
撮影 2001/2/17
関宿の現在の風景
写真・文 伊勢路
様
(松阪市)
撮影 2000/12/18
周囲の景観に合わせて銀行もレトロ調です。歴史を感じさせますよね。.
左側の 電気やさんが 関宿 伊藤本陣跡です。 建物は そのまま保存されていました。本陣は二階建てはなかったそうです。
関宿の現在の風景
写真・文 伊勢路
様
(松阪市)
撮影 2000/12/18
関宿の現在の風景
写真・文 伊勢路
様
(松阪市)
撮影 2000/12/18
ここにもう一軒の本陣があったのですが 建物は有りません。 門が近くの寺に移築されていました。
延命寺に残されて居る 本陣の門。
福蔵寺
写真・文 ねこ虎
様
(北びわこ)
撮影 2001/2/11
旧川北本陣の門
写真・文 ねこ虎
様
(北びわこ)
撮影 2001/2/11
孝子のあだ討ちの伝説で有名な小万の墓碑が境内にある。 地蔵院前に小万の育った旅篭、山田屋の遭構も現存する。
延命寺に残されて居る 本陣の門。
関宿の現在の風景
写真・文 伊勢路様(松阪市)
撮影 2000/12/18
関郵便局前に復元された高札場
写真・文 伊勢路様(松阪市)
撮影 2004/11/22
郵便局の建物も街並みに配慮されていました。元 高札場の跡です。
左の写真と見比べてください。最近ここに高札場が復元されました。
狂歌で下る東海道五十三次
関火縄地蔵の右の花表こそ伊勢参宮の道と知るべし
関宿(三重県鈴鹿郡関町)に到着。古代、鈴鹿関は不破関・愛発(あらち)関を加えて三関といわれていました。この地は関地蔵とも呼ばれています。その起源となった地蔵院があります。「花表(かひょう)」は大路が交わる所にある道標のこと。東海道と伊勢別街道の追分(分岐点)です。
わたしは、ふと伊勢路の方へ心が魅かれました。というのは、伊勢参宮で御師の家に泊まると、伊勢馳走と呼ばれる超豪勢な食事が味わえるからです。(御師。年末に暦やお札を配ったり、参詣者の世話や宿をしたりする下級の神職。ふつう「おし」と読むが、伊勢神宮に限って「おんし」という)。宮崎平左衛門(江戸時代の八代の相物問屋 )の『伊勢参宮道中記』に、伊勢馳走の豪華な献立が詳細に書かれています。彼は福嶋御塩焼太夫という御師の宿に泊まっています。狂歌の作者が、わたしをしきりと睨むので、伊勢行は思い止まりました。
関の名物は火縄・南禅寺豆腐など。「関の戸」という銘菓を食べました。小豆餡の求肥の上にまぶした和三盆の味が忘れられません。鈴鹿の山々の白雪に見立てているそうです。現在でもこの銘菓は売っています。この地の、関の小万の仇討ち話は、奥州白石の宮城野・信夫(しのぶ)姉妹の仇討ちを思い出させます。
関地蔵について、前出の『伊勢参宮道中記』におもしろい話が書かれてあります。再興された関地蔵の開眼供養に一休禅師が招かれ、「釈迦は去り弥勒はいまだ世に出でずかかる浮世に目明しめ地蔵」と二、三べん唱え、地蔵に小便を垂れかけて去った、というものです。この話は一休噺として現在伝えられていますが、現在のものと『伊勢参宮道中記』のものとは、すこし違っています。比較検討してみるのもおもしろいでしょう。
関には古い町並みが多く、現在国指定の重要伝統的建造物群保存地区になっています。
寄稿 八代市 ちくたく凡様