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52.石部宿 目川之里
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宿場
東海道五十三次
52.
石部宿 目川之里
歌川広重
天保3〜4年(1832〜33)

石部宿の現在の風景

写真・文  ねこ虎様(北びわこ)
撮影   2001/2/17

草津宿東に目川立場があり、この地から目川田楽豆腐・菜飯が始まり、石部宿にも でき、江戸にも出店していた。

目次
目川の里に描かれた目川田楽菜飯茶屋跡(現目川屋)。
 草津宿の目川田楽が、常楽寺(阿星山五千坊の中心と言われた西寺)。東寺などの参詣人目当てに石部宿にも波及したのでは?. 




石部宿の見どころ


三大寺小右衛門本陣跡(畳数232.5畳)



←石部宿の幕末期の大名・公家の通行
  件数
  (小島本陣の宿帳に記載)
   文久元年(1861)…138件
   文久二年・…‥‥ 162件
   文久三年・…‥‥ 281件

   写真・文  ねこ虎様(北びわこ)
   2001/2/17撮影





このような桝型がニケ所ある。  →






    写真・文  ねこ虎様(北びわこ)
    2001/2/17撮影





宿場西の桝型




宿場の東、三雲郷にある石碑





右から田川ふどう・万里小路藤房卿古跡・立志神社。真中の石碑の側面に「雲照山妙感寺 従是十四町」とあり、文化五年 (1808)に再建されたもの。



    写真・文  ねこ虎様(北びわこ)
    2001/2/17撮影







通常、「京立ち石部泊り」といわれ、浄瑠璃「桂川連理のしがらみ」 や広重も石部の絵柄に旅篭屋の様子を紹介している。
また雨山公園には、東海道石部宿縮小版といった“石部宿場の里” “歴史民俗資料館”がある。                         → 



    写真・文  ねこ虎様(北びわこ)
    2001/2/17撮影




小島本陣跡(畳数173.5畳)




宿場の東、吉永郷の弘法杉

幹周り4.5m 樹高25m 樹齢750年と言われる大杉。二本並んで立って いたが、台風で一本倒れ、今は一本だけで、町文化財、天然記念物にな っている。



    写真・文  ねこ虎様(北びわこ)
    2001/2/17撮影








狂歌で下る東海道五十三次


いさぎよき菜摘の茶屋のところてんみずからくりのまわす人形

 この歌は次の歌の後に置くべきですが、次の歌が石部・水口を一緒に詠んでいるので、ここに記したのでしょう。すなわち、石部宿と水口宿の間に菜摘(夏見、滋賀県甲賀郡甲西町大字夏見)があります。「菜摘」は狂歌の作者の当て字でしょう。
 天保十一年(1840)に書かれた、宮崎平左衛門(八代の商人)の『伊勢参宮道中記』に次のような記事があります。
 「水口の内夏見村に心太の名物、家毎に水からくりを仕立色々の人形を仕掛有」
 水からくりは、水を利用して動かす人形。いまでも鹿児島県などに伝統文化財として残っています。特に鹿児島県知覧町、豊玉姫神社の水車からくり人形は有名です。
 「いさぎよき」は「清らかな」くらいの意味ではないでしょうか。「菜」の序詞になっているのでしょう。わたしもここで心太を食べました。茶屋女が突き出す心太が、ひょろひょろひょろと器にかしこまるのを見て、つい気の弱い(?)わたし自身を見たような気がしました。


寄稿 八代市 ちくたく凡様