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宿場
東海道五十三次
53
.草津宿 名物立場
歌川広重
天保3〜4年(1832〜33)

草津宿の現在の風景

写真・文  ねこ虎様(北びわこ)
撮影   2001/2/17

草津名物・うばがもち屋。その起源は諸説があるが、近江の所司代になった織田信 長に滅ぼされた近江源氏佐々木義賢の3歳になる曽孫の乳母福井とのが、郷里草津に 身を潜め、育てる手立てとして、幼児を抱いて餅をつくり、売ったのが、誰いうとな く姥が餅と言うようになった。右に描かれた道標には「右やばせ道 これより廿五丁 大津へ船わたし」と刻まれている。やばせは、近江八景の一つ、矢橋の帰帆で有名 な矢橋港である。

目次
現在のうばがもちや(姥ケ餅屋)
旧姥ケ餅屋は宿場西の矢倉辻(矢橋港へ至る道の分岐点)辺りにあり、 ひょうたん屋が建っている。 「瀬田へ廻ろか矢橋へ下ろか 此処が思案のうばがもち」 と言い囃されて、府中の安倍川もちと並び称された。
「家康も芭蕉もたべた姥が餅 広重も蕪村も食べた姥が餅」。蕪村は「東風吹くや 春萌え出でし 姥が里」とも詠んでいる。





草津宿の見どころ








田中本陣保全整備前の状態

   写真・文  ねこ虎様(北びわこ)
   2001/2/17撮影


 和中散は腹痛、暑気あたりに効能があり、蜀山人の「改元紀行」にも記さ  れてあり、また文政9年にはオランダ人医師シーボルトも立ち寄って、  薬を買っている.現在は旧和中散本舗として国指定史跡、池泉式庭園は  県指定名勝、建物は国指定重要文化財となっている。
                   

       写真・文  ねこ虎様(北びわこ)
       2001/2/17撮影




六地蔵にある旧和中散本舗








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東海道と中山道の分岐点・草津追分にたつ道標
「右 東海道いせみち  左 中仙道美のぢ」と刻まれている。

   写真・文  ねこ虎様(北びわこ)
   2001/2/17撮影




目川田楽を売る店は京伊勢屋・小島屋・元伊勢屋の三軒あったという。  東海道名所図会は元伊勢屋の店先を紹介している。

       写真・文  ねこ虎様(北びわこ)
       2001/2/17撮影







目川郷の名物立場・目川の田楽菜飯茶屋跡(目川田楽屋敷と呼ぶ)







伊勢落郷から「近江富士」と呼ばれる三上山。

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   写真・文  ねこ虎様(北びわこ)
   2001/2/17撮影







これが姥が餅




田中七左衝門本陣(史跡指定地4700平方m)


東海道宿の本陣で完全に残るのはここだけである。
 草津宿には二軒の田中本陣があったが、1軒は廃絶、この本陣が往時の  姿をとどめている。部分建物修理や焼失建物の復元、庭園整備など、平 成八年に保存整備事業が完成した。

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   写真・文  ねこ虎様(北びわこ)
   2001/2/17撮影




草津宿
 矢倉道標。東海道と矢橋道の分岐点にあった姥が餅屋の 軒下に寛政10年(1798)に建てられた道標。

     写真・文  ねこ虎様(北びわこ)
      2001/2/23 撮影






      
咲き乱れる萩と源俊頼の和歌
 「あすもこむ野路の玉川萩こえて色なる浪に月やどりけり」


義仲寺境内の句碑

・行者をあふミの人とおしみける      芭蕉桃青
・古池や蛙飛こむ水の音          芭蕉翁
・旅に病で夢は枯野をかけ廻る      芭蕉翁
・木曽殿と背中合せの寒さかな      又玄
.しぐれても道はくもらず月の影      柴金
・おもふまま月夜にあひぬ遅さくら    車友
・鶯のほっと出らしき初音哉        栃翁
・行燈のひとり消けりけさの秋       乙也
・身のほどをかヘリ見るlIぞ初しぐれ   羽洲


・初雪や日枝より南さり気なき       蝶夢幻阿佛
・よい処へちればさくらの果報かな    蟻洞
・月の湖鳰鳩は浮たりしづみたり     魯人
・いく夜寝ぬ身のおろかさよほととぎす  朴因居士
・葉を配るその根やここに冬木立     角上
・三日月の影をのばすな蕎麦の花     
・さまざまの露ひとむらのさかり哉    露城
・鶯の頻りに鳴くや雨の花         其桃
・むべ三顆翁を祀るけふにして      方堂

 
写真・文  ねこ虎様(北びわこ)
      2001/2/23 撮影





狂歌で下る東海道五十三次

 膳所瀬田や石山寺を妻手に見て三里も近し矢橋船乗ル
 近江八景の名所を眺めながらの旅はいいですねえ。石場から矢橋まで「矢橋の渡し」に乗ります。これを利用すると時間が節約できます。なにしろ大津から次の宿の草津まで陸路では三里半もありますから(江戸時代)。船中でおばさんに聞いてみました。「三里半ってどのくらいでしょうね」「十四キロ」。

  草津より直には美濃路右伊吹拵もぐさ和中散うり

 矢橋で根を降り、途中で名物姥ケ餅(広重の絵にもありますね)を食べて草津に着きました。草津は東海道と中山道の分岐点。いや、その賑やかなこと、賑やかなこと。(ここでお囃子が入る)。伊吹名物のもぐさも売っています。
 ここから今のJR東海道本線をそれて草津線沿いに行きます(旧東海道)。草津宿と石部宿の間、六地蔵梅ノ木(栗東市)に和中散本舗があります。道中薬(腹痛・暑気あたり)として有名です。今もその建物が残っていて、国の重要文化財になっているそうです。草津と石部の間宿りとして、参勤交代の大名の休息所となっていました。東海道を旅する文人墨客も立ち寄り、シーボルトもこの薬を求めたそうです。わたしも和中散を買って、石部宿を目指して歩きつづけます。ではまた。


寄稿 八代市 ちくたく凡様