目次
土山宿
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京都
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宿場
東海道五十三次
50.
土山宿
春之雨
歌川広重
天保3〜4年(1832〜33)
土山宿の現在の風景
写真・文 伊勢路様(松阪市)
撮影 2000/12/18
鈴鹿峠を越えて 山を下ると土山の宿に入る。鈴鹿峠越えは、よく雨に降られることで知られ、図も雨の中、田村川沿いに旅の一行が通りすぎていく景を描いている。
目次
広重の絵のように田村川にかかる橋の上から撮影しました。 前方、左側に道の駅があり、その裏側に旧東海道の街並みが 残されていました。
土山宿
の見どころ
土山宿の町並み
写真・文 伊勢路様(松阪市)
撮影 2000/12/18
旧東海道土山宿の街並み
鈴鹿峠頂上付近
写真・文 ねこ虎様(北びわこ)
2001/2/6撮影
鏡岩
写真・文 ねこ虎様(北びわこ)
2001/2/6撮影
日本三関の一つ.(357m)天下の峡と言われた峠
山頂から西の方向へ約300mの所に あるのが昔の『鏡岩』。今は赤茶けて見えるが、 昔は鏡のように輝き、旅人が映るのを見て盗賊が 襲ったと言われる。高さ20m、巾10m。
土山宿の現在の風景
写真・文 ねこ虎様(北びわこ)
2001/2/6撮影
土山氏本陣跡
写真・文 ねこ虎様(北びわこ)
2001/2/6撮影
「坂は照る照る鈴鹿は曇る、あいの土山雨が降る」と 鈴鹿馬子唄に唄われた土山宿は南北両土山村に属 していた。また南北土山村は幕末まで幕府領であった から宿内は陣屋が置かれていた。
土豪土山氏の後裔で、寛永十一年の家光上洛に際して 本陣になったと伝えられている。
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反野畷の松並木
写真・文 ねこ虎様(北びわこ)
2001/2/6撮影
大黒屋本陣跡・問屋場跡・高札場跡
写真・文 ねこ虎様(北びわこ)
2001/2/6撮影
土山宿には、土山氏本陣と大黒屋本陣があった.
土山宿の現在の風景
写真・文 ねこ虎様(北びわこ)
2001/2/17撮影
土山宿 田村神社
写真・文 ねこ虎様(北びわこ)
2001/2/17撮影
この道の突き当たりに「土山春の雨」の橋があったが、今はない。
村川の西にある。鈴鹿峠で人を苦しめた鬼を退治した坂上田村麻呂を 祀ったとの由緒ある社。また最近は選挙の神様とも崇められている。
森自仙(森鴎外の祖父)終焉の地、井筒屋跡
写真・文 ねこ虎様(北びわこ)
2001/2/6撮影
白仙は津和野藩の典医で、参勤交代に従っての 帰途、この地で歿した。
狂歌で下る東海道五十三次
土山は蟹が坂上田村まる鈴鹿の社坂のしも宿
蟹が坂は、現在の甲賀郡土山町大字北土山にある坂。蟹と呼ばれる山賊が旅人を悩ませていたのを、坂上田村麻呂が退治したという伝説があります(『甲賀郡志』)。一説には、蟹の化け物を旅の僧が法力で成仏させたともいいます。田村麻呂が退治したのは鬼との説も。
「蟹が坂」と「坂上」は掛詞。「坂のしも」との縁語とにもなっています。田村麻呂を祭った田村神社があります。森鴎外の祖父森自仙が、津和野藩の典医として参勤交代に供奉し、この地で亡くなったそうです。名物はお六櫛・土山茶。
土山宿の立場(江戸時代、駕籠かきや馬子などが集まり、休息する所)で馬を雇いました。これから鈴鹿峠を越えます。のどかな顔つきをした馬です。馬上で「ハルウララ」のことなど思い出していると、馬子が良い声で唄い出しました。
♪坂は照る照る 鈴鹿は曇る あいの土山雨が降る
「今年の十月、鈴鹿サーキットで日本グランプリレースガあるんだってね」とわたしが話し掛けると、馬子は急に不機嫌になり、ブスッとして言いました。「競争は、馬に限る」(いささか時代が交錯していますが、埒もない空想旅行記、おゆるしあれ)
峠越えの途中に天然記念物の鏡岩があります。峠を越えると坂下(三重県甲賀郡関町坂下)です。室町時代の画家狩野元信が、その山の姿があまりにも変化に富んだ岩山なので、自分にはとうてい描けないと、筆を捨てたという言い伝えのある筆捨山があります。
狂歌では「坂のしも」とありますが、現在では「さかのした」と言っているようです。
坂下宿からまた徒歩で関宿に向かいます。ではまた。
寄稿 八代市 ちくたく凡様