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10. 小田原宿 酒匂川
小田原・酒匂川の現在の風景
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宿場
東海道五十三次
10.
小田原宿 酒匂川
歌川広重
天保3〜4年(1832〜33)

小田原・酒匂川の現在の風景

写真 二宮銀次郎様(小田原市)
撮影  2000/12/7

箱根越えの入口として繁栄した城下町。小田原の町へ入るには、手前を流れる酒匂川を渡る。東海道をよぎる大河の多くには、徳川幕府の政策上橋がかけられなかったため、旅人は舟もしくは人夫の肩に乗り、或いは徒歩で渡った。図では対岸に小田原城、その背後に険しい箱根の連山が描かれている。
目次
酒匂川の橋の上からの写真。酒匂と山王の間にかかってる橋で、国道一号線の酒匂橋といい、交通量が激しい道です。
1月2と3日は関東大学駅伝競走で利用されている橋です。





狂歌で下る東海道五十三次


  小田原ハ鰹のたゝき梅漬屋ういろうの香もよき酒香川

 箱根宿から約四里、小田原宿(神奈川県小田原市)に着きました。早雲に始まる北条氏五代、後に大久保氏の城下町です。三層の天守閣も美しい小田原城は名城の一つに数えられています(昭和三十五年に天守閣復元)。二宮金次郎尊徳の生まれた地で、お城の近くに報徳二宮神社があります。海の幸に恵まれ、鰹などの鮮魚、蒲鉾がおいしい所です。また、梅漬も名産。
 特に世に知られているのは名薬「ういろう(外郎)」です。中国元の礼部員外郎の役にあった陳宗敬が日本に帰化し、その子孫が代々医薬を業としてこの薬を作りました。これが北条氏綱に献上されたことから、小田原の名物になったということです。口臭を消し、頭痛・痰切りに効果がある薬です。殿上人がこれを冠の中に入れ、髪の臭気を消したところから「透頂香(とうちんこう)」とも言いました。歌舞伎十八番のなかに「外郎売」があります。外郎売りに身をやつした曽我五郎の、早口言葉の言い立ては聞くだけで痛快です。言うまでもなく、蒸し羊羹風の菓子外郎は別物です。
 小田原宿を立ち、途中、新田義貞の墓にお参りして、酒匂川に着きました。ここは人足による徒渡しで、川留めもしばしばあり、旅人を悩ませました。天保十二年、松井章之はここで川留めに遭い、五月十四日から十八日まで小田原に滞留しました。その間、おなじ川留めで偶然出会った肥後の能楽師や絵師を呼び、曲舞・地謡などをさせたり、席画を描かせたりしています。また、漁師を雇い引き網をさせたり、海辺で小田原藩の大筒(腕に抱えて打つ鉄砲)の稽古を見物したりしています。高級武士の川留めの過ごし方はこんなものだったのでしょうか。
 わたしは幸い無事酒匂川を渡り、次の大磯宿に向かいました。あっ、お土産の小田原提灯を買うのを忘れた。ま、いいや。ではまた。

寄稿 八代市 ちくたく凡様